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瑞龍院寄付 鴛形香炉(蓮台寺寺宝)

osidori.jpg
10月1日~2日の二日間、尾張大野歴史資料館にて、尾張大野寺宝展が開催されました。
大過なく無事終えたことは、寺宝をお貸し頂いた寺院のご理解、関係者の尽力のおかげと感謝しております。
また、大変多くの方がご来館頂き、とても嬉しかったです。

今後、ご覧頂けなかった方のために、当ブログで尾張大野の寺宝を紹介しようと思います。

写真は、蓮台寺所蔵の「瑞龍院寄付 鴛(おしどり)形香炉」です。
大野町史にも写真付きで紹介されています。
「瑞龍院とは、秀吉の姉で秀次・秀勝の母、智子」と住職から聞いていたのですが、
来館者からのご指摘と葵の紋があることにより、尾張二代藩主徳川光友の寄付ではないかとのこと。
確かに光友は大野に訪れていますので、ご指摘の方が正しいと思います。
思わぬ副産物でした。
(ヨクロー)
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織田信長発給の禁制(東龍寺寺宝)

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禁制(きんぜい)とは、戦国期の戦争の際、軍隊のとる濫妨・狼藉・放火といった行為から例外的に寺社・村落・市場・宿場町を保護するのが目的に下付された文書のことです。
実際は、木札(高札・制札)に書かれているのですが、雨にさらされ、とても読み辛い状態でしたので、文書のほうのみを展示しました。

永禄三年(1560年)といえば、桶狭間の合戦の年。
三河海東記によると、今川義元が討たれたことを知った、当時、今川方だった家康(松平元康)は三十人ほどの家臣と共に、大高城から逃れ、知多半島を南下し、東龍寺に停泊したことがリアルに記されています。
当時、大野にも戦の緊張があったんですね。

織田信長発給の禁制は、尾張・美濃に十箇所程しかなく、大変貴重な資料です。
(ヨクロー)

tag : 大河ドラマ 家康 尾張大野

二つの「達磨大師二祖慧可断臂図」(齋年寺寺宝)

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大野城主佐治家の菩提寺である、齋年寺所有の雪舟筆「達磨大師二祖慧可断臂図(だるまだいしにそえかだんぴず)」は、教科書に載るほど有名で、国宝として、現在京都国立博物館に寄託されています。雪舟77歳、明応5年(1496年)の作
写真右は、そのレプリカで、齋年寺でみることができます。
国宝としての絵画は、県下ではたった二つしかなく、その内のひとつです。(もうひとつは、徳川美術館にある「徳川絵巻」)

写真左の掛軸は、明治44年に描かれた奥村恭法の作です。
恭法とは、明治大正期に活躍した仏画の中京画壇の大家です。

この二つの絵画が並び賞されることは、まずありません。
見比べてみて、違いを楽しまれるのもよろしいかと。
(ヨクロー)

鰐口(海音寺所蔵)

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鰐口(わにぐち)とは仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である。

海音寺さん所有のこの鰐口には
「尾州知多之群大野庄浦之薬師如来鰐口禅詳僧奉鋳之
時慶長六年辛丑秋八月吉日良辰大工藤原清近」
と刻されています。

大野は、大野鍛冶が有名ですが、
大野の東に位置する久米村には鋳物師の集団があり、鋳物もその昔盛んでした。
この鰐口に刻さてている「大工藤原清近」とは、代々片山姓を名乗る鋳物師、三代市左衛門と推定されている。
昭和43年、常滑市文化財指定。
(ヨクロー)

東照神君御影の掛軸(東龍寺寺宝)

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東照神君とは徳川家康のことです。
この掛軸は、家康の生母伝通院(於大の方)によって東龍寺に拝領された物です。
若き日の家康公の画像は少なく、大変貴重です。

東龍寺と家康との関連は非常に深い。
東龍寺住職は家康の母(於大の方)の妹の子にあたります。(「常楽寺由緒」より)
詳しくは、カテゴリの家康と大野を読んで下さい。

(ヨクロー)

tag : 尾張大野

耆婆(ぎば)大臣像の掛軸(東龍寺寺宝)

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耆婆大臣像(ぎばだいじんぞう)
伝 徽宗帝(きそうてい) 宸筆(しんぴつ)

耆婆大臣とは、仏教聖典に登場する古代インドのマガダ国の名医。
服装に描かれている龍が五つの珠をもっているのは、位の高さを物語っている。
徽宗帝とは、北宋の第8代皇帝。芸術面では北宋最高の一人。
江戸初期の徳川家康公の拝領物。

かなりのド迫力の掛軸でした。

(ヨクロー)

tag : 家康

織田有楽寄贈太鼓(蓮台寺寺宝)

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天正3年3月、信長の弟・織田有楽(長益)が蓮台寺に寄贈した太鼓太鼓です。
龍の絵が描かれていますね。
郷土史家・早川佳宏氏によると、武将がその土地を治める時、その土地の一番大きな寺に物を寄進するそうです。これを根拠に、この時期にはもう織田有楽は大野に入城していたと訴えています。
天正2年、大野城主・佐治信方は討死。その子・与九郎(一成)はまだ幼少。タイミング的にも合致していますね。

上写真の太鼓の右下をよく見ると、かなり使い古されたらしく、少し凹んでいます。
下の白黒写真は、前にも紹介した昭和4年発行の大野町史の写真です。
やはり、同じ箇所が凹んでいますね。
(ヨクロー)


t3gengotaiko.jpg

tag : 尾張大野

二代徳川秀忠公の書簡(個人宅所蔵)

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個人所有のお宝ではありますが、大変貴重なものであり、皆様にご覧頂きたく展示しました。
慶長年間に、秀忠が弟福松丸(後の清州城主松平忠吉)に宛てた書簡です。
最初の行は「知多志を湯治場を、の(大野)」と読みます。
中納言とは秀忠のこと、内府様とは家康のこと。
腫物に悩む弟を慮って、皮膚病に効用のある大野の塩湯治を勧める秀忠の書簡ということです。

秀忠はご存じ、の夫。
ひょっとして、昔大野に嫁にいったが、大野の塩湯治は身体にいいことを思い出し、秀忠に進言したかもしれませんね。
(ヨクロー)

*この書簡の文字はわかりづらく、専門家の間でも多少解釈が違っています。
 我と思わん方、解釈してみて下さい。


tag : 尾張大野 家康

佐治駿河守寄贈小喚鐘(蓮台寺寺宝)

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この鐘には「大永七年(1527年)十一月 佐治駿河守」と刻付されています。
蓮台寺には、寿山塚といって初代大野城主佐治宗貞(駿河守)のお墓があります。
当時、この地区では一山十七坊ととても大きな寺であった蓮台寺にその駿河守が寄贈したものです。
昭和43年、常滑市指定文化財。
(ヨクロー)

tag : 尾張大野

プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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