スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 1

おきたおぬいを調べよう!

与九郎とおの間には「おきた・おぬい」という二人の娘がいたという伝説。
佐治与九郎が大野城が没落してから師崎の千賀家へ厄介になったといふ説がある。
此説に依ると、与九郎にはおきた、おぬいといふ二人の女子があって、千賀家で養育されて居たが、一人は盲女であった。後須佐村に小居を構へて居たから其地の百姓は之を千賀家の主君の娘だと云って今もおきた脇と云って居るといふことである。
(「大野町史」昭和4年発行より)

ある日、ハカセとヨクローとの会話。
「ハカセ、おきたおぬい伝説は本当でしょうか?」
「実は、もう30年も前の話だが、大野の歴史に詳しいAさんが、師崎のある南知多まで行って『おきた脇』の場所を探しに行った。そして、ある日『わかったぞー』て言っとった」
「どこだったんですか」
「んー、その時儂は特に歴史に興味がなくて、よく聞かなんだ。しまったなあ」
「今Aさんは?」
「とうに亡くなったよ」
「残念」
二人は目と目があった。あたかもアイコンタクトをとってるように。
「ヨクロー君、南知多に行って調べにいこうか」
「いきましょう、いきましょう」
二人はヨクローの車でいざ南知多へ。
南知多は知多半島の最先端。温暖で回りは海で囲まれていて実にいい所だ。
例えるなら、米国フロリダ半島のマイアミビーチのような所かな。行った事ないけど。
気分良くドライブ。
「ハカセ、まずどこへ行けばいいんですかね」
「南知多の町役場に行こう。そこで聞けばすぐわかるんじゃないか」
「なるほど」
もし私たちの手でおきたおぬいの存在が証明できたら、これはすごいことでは。
私は胸をときめかしながら、アクセルを踏む。
しかし、ある重要なことに気がつく。
「ちょっと、ハカセ、今日は日曜っすよ。町役場は休みじゃ…」
前途多難である。
(つづく)


Miami Sound Machine Conga
スポンサーサイト

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 2

日曜の町役場にて

「ハカセ、日曜は町役場休みじゃ…」
「大丈夫、必ず当直の職員がいるから」
「そっかあ」

町役場は裏口から入れるようになっていた。
ハカセの言う通り、ガランととした役場には一人の若い男性職員がいた。
「あのう、すみません」
「はい。税務相談ですか?」
彼は税務課の席に座っていた。
「いえ」
我々はお江と与九郎との間に隠し子がいるかかどうか調べていて、まず、その娘の名をとった「おきた脇」という地名が過去に南知多にあるかどうかを尋ねに来たことを伝えた。
「うーん」彼は困った顔をして「少しお待ち下さい。詳しい者に聞いてみます」
といって電話をかける。
「もしもし、よかった、いらっしゃったんですね。実はですね…」
彼は我々の質問を相手に丁寧に伝える、「…はあ、そうですか。わかりました」
意外と早く回答がきた。
受話器を切るなり彼は答えた。
「えー、おきた脇という地名はないそうです」
「昭和初期の頃とか、それ以前にもでしょうか?」
「はい、今も昔もそのような地名はどこにもありませんとのことです」
そんな~。我々は落胆した。じゃあ大野町史のあの一節は何なのだ。
「ただ、もしよかったら、おもしろい情報があるから来てくださいということです」
「え?」
「南知多町郷土資料館の館長のYまで尋ねてください。場所おわかりですか?」
行くっきゃない。ハカセと私はまたもアイコンタクト。
いい職員さんに巡り合えた。
「ありがとうございます」
彼は笑顔でこたえた。
(ヨクロー)


Never on Sunday(日曜はダメよ)-Melina Mercouri

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 3

鯨と「みなみ」とY館長

南知多町郷土資料館は、旧愛知県立内海高校の敷地内にある。
運動場では地元の子供達がサッカーのゲームをしていた。
体育館の横に、一教室分くらいの大きさの平屋の建屋があるが、そこに郷土資料館の看板が掛けられてる。
入ってみたが、人っ子一人いない。
中は資料館というより、図書館だ。
事務室に声を掛けてみたが返事がない。
仕方ないから、外で草刈していたおじさんに訊いててみる。
おじさんは麦藁帽子に上半身下着姿、首にはタオルを掛け、汗をだらだら流して、イカツイ労務者風の人だった。シルバーの人かな?
「あのう、Y館長はどちらにお見えかご存知でしょうか」
「おぬしらか、おさんのことを調べとる者は?まあ上がれ」
彼がYさんだった。
再び館内に。我々は事務室に招かれた。
「おぬしらは大野から来られたのか。ワシは師崎に生まれ、南知多の小中学校の教師を30年以上勤めとったが、数年前にここに飛ばされ、来年はお払い箱(定年退職)になる身だ。ワッハハ」
「早速ですが、『おきた脇』という地名は南知多には本当にないのでしょうか?」
私が切り出す。
「しつこいのう、おぬしら。あったら、ワシがとっくに見つけとる。ところで、日本で最初の捕鯨はここ南知多だということは知ってるか?」
「いえ」
Yさんは延々と捕鯨の歴史を話し出す。戸時代にはここ南知多では結構捕鯨が盛んだったそうだ。
大野・横須賀あたりでも捕鯨の記録はあるとのこと。
ハカセは釣りが趣味で結構その話に興味を示す。
「大野の漁師の家にも鯨を捕らえる銛(もり)がありましたよ」とか
「信長が朝廷に鯨肉を献上した記録があるけど、たぶんここらで捕まえた鯨でしょうなあ」とか
ハカセは博学である。無学な私はただ黙って聞いてるだけ。
しかし、それはそれですごいことだが、我々は鯨の話を訊きに来たのではないのだ。
ひょっとして、おもしろい情報って、「日本最初の捕鯨は南知多である」てことを言いたかったてこと?
「実は今の話は、この「みなみ」という機関紙の最新号にわしが執筆しとる。500円だ。どうだ買わんか」
ハカセは年金受給者。500円でも大事だ。ハカセは困惑している。
「僕が買います」
半切れ状態の私は500円玉を彼に投げつけてやりたい気持ちだった。
「すまんのう、資金が足りなくてなあ」
500円玉を渡すと、彼は私に「みなみ」を2部くれた。
「1部でいいんですけど」
「もう1冊はただでくれてやる。25年前の「みなみ」だ。おぬしが知りたいことが載ってる」
「えっ?」
反抗的だった私の目つきを彼の眼光が鋭く睨み返す。ものすごいキャラの彼は、一体何者?
(ヨクロー)


Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off Of You

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 4

Y説



「まず、結論から言おう。『おきた脇』とは内海の『北脇』のことだと、わしは睨んどる」
「なるほどお」私は思わず叫ぶ。
内海は、大野佐治の親戚、内海佐治のいる岡部城がある。
彼は、おきたおぬいは、千賀家でなく内海佐治家に預けられたと言いたいのだ。
「おぬし、井上靖の佐治与九郎覚書を読んだことがあるか?」
「ええ、まあ」
「なら話が早い。それには天正14年におさんは佐治家に嫁に来たとされている。それから二人の娘が生まれて預けるまで早くて3~4年位はかかろう。しかし、天正18年に千賀は、家康の関東移封に伴い相模国三浦半島に移住しとる。娘を引き取る状況ではなかろう。井上靖がどう調べたか知らんが、内海佐治家と取り間違えた可能性もある」
「そのことがこの25年前の『みなみ』に書かれているんですね」
「ハハハ、そうじゃない。当時内海小に赴任したばかりの新米教師のわしは、内海の地形やら地名の由来を調べとった。そのことが書かれとるだけだ。その中で、どうしても府に落ちない地名があった。それが『北脇』だった。普通、脇のつく地名は山と山に挟まれたところにある。しかし、そこの周りは平坦だ。昔はそういう地形なのかと思ったがそうでもない。周辺に脇と関係するものがあるかと思ったが何もない。わしはそこに住んでいる老人に訊いてみた。そうしたら『北脇』という地名は昔はあちらの方だったと指をさしたのだ。そこは岡部城の近くの山の方向だった。クロゼ?クロデ?よう聞き取れなかったがそんな地名だったとか。地名が移動した理由もよくわからん。それだけだ。その時は『おきた脇』のことは知らなかった。後で知った。ぞこへ行ってみなさい。何かわかるかもしれん」
ハカセと私はこの日三度目のアイコンタクト。
「ハカセ、時間いいですか?」
「行くしかなかろう」
「貴重な話ありがとうございました」
我々は『おきた脇』が書かれている文献名を彼に教えた。
「そうか、今度見てみよう。また、いつでも来なさい」
とりあえず、Yさんの説に乗っかろう。
彼は淋しがり屋さんにちがいない。
人を外見で判断してはいけない。
つくづく思った。
(ヨクロー)


ZONE - secret base ~君がくれたもの~

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 5

内海岡部城近くの北脇が「おきた脇」?
CRW_1856.jpg

Yさんが教えてくれた「おきた脇」ではと思われる場所までいってみた。
内海岡部城の近く、内海中の西北の方向、福谷(ふぐや)池を入り口とする渓谷がそれだ。
福谷(ふぐや)池にバス釣りをしている若者がいたが、車のナンバープレートを見ると遠方から来ている。

「こりゃ、与九郎やおが逃れ、お姫様をかくまうには、もってこいの場所だな。おきた脇はここでまちがいないな」
ハカセが言う。
確かにそうは感じるのだが、それだけで決めつけるのはあまりに弱いのでは。
はじめて意見が分かれた気がした。
「取り合えず、奥まで行ってみませんか」
「いや、もうそこまで時間がないよ」
ハカセは拒む。時間はもう夕方5時を過ぎていた。
渓谷はとても険しく、人がいるような所ではない。奥まで行って戻ると暗くなってしまう。

そんな時、犬を散歩に連れて歩いているおじさんに出会う。
地元の人にまちがいない。
「すいません。ちょとお聞きしたいことがあるんですが、実はこの地に佐治のお姫様が…」ハカセが訊く。
「お姫様がここでかくまわれた?私は40年前ここに越してきました。歴史も詳しくありません。でも確かにそのような話、先輩に聞いたことがありますな」

帰路の車中、ハカセと私の表情はあまりに対照的だった。
「Yさんの言うのはまちがいなかろう」とハカセ。
「はあ」と生半可な返事をする私。
決してY説を否定する訳ではないが、イマイチ釈然としなかった。
大野城落城→与九郎お、内海佐治に逃れる→二女出産→与九郎お、見つかる→お秀吉の下に、与九郎信包の家臣に、娘達は残る。…という流れ?
という流れなら、逆にあそこまでの秘境にかくまう必要があるのだろうか。
どうなんだろう。
内海佐治家や千賀家のこと、そして今一度、須佐のおきた脇も調べてみてみようと思った。

ちなみに「」が再来年の大河ドラマになると発表されたのは、この日の二週間後だった。
ただただ、驚くのみであった。
(ヨクロー)


弘田三枝子/レオのうた

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 6

一人、須佐村へ

「ハカセ、もう一度南知多にいきませんか?」
「ごめん、ヨクロー君、ちょっと・・」
仕方なく、一人で行く。
実は、彼と一緒だといつもいいことがあるのだ。いつも何らかの収穫がえられるのだ。
本当である。
私は、ハカセを福の神と思っている。

私はY説に逆らい、須佐村(現南知多町豊浜)あたりに行く。
「すみません。ここらに”おきた脇”て地名なかってでしょうか?」
地元の人数人に聞くが、伝説の話は全く知らない様子。
千賀家の菩提寺・正衆寺、内海佐治の菩提寺・性海寺の住職にも聞くが、何の手掛りも得られない。
「あの人が歴史に詳しいですよ」と聞いては、その方の所まで行っても同様。
正衆寺には千賀家代々の墓がいっぱいある。ひょとして「おきたおぬい」の名が見つかるかもと思ってしらみつしに見てみたが、字が読みにくくてさっぱりわからない。

再び、南知多町郷土資料館に行く。
再び、Y氏に会う。
「だから、豊浜にはおきた脇はないと言っただろうが。あったら、わしがとっくに見つけとるわい」
Y氏は、豊浜の隣の地区・師崎に生まれ育った。

南知多町史資料編近世村絵図(天保12年)を見せていただく。
いくつか「脇」とつく地名がある。
たこち脇・大くご脇・棚畑脇・堂庭脇・長命寺脇・鯨脇・東山脇。
おきた脇は見当たらない。
この日は何の収穫もなかった。
susa.jpg

殆どの地元郷土史家は「おきたおぬい」はいないとみている。
「おきたおぬいを調べてる」というと大概冷めた眼でみられる。
「いるという証拠はまだ見つかってないけど、いないという証拠も見つかってないじゃないか」
この日、私の心は壊れそうになった。
(ヨクロー)


ハート・オブ・グラス Heart of Glass/ブロンディ Blondie

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 7

Y氏の定年退職

2010年3月をもって、Y氏は南知多町郷土資料館を定年退職した。
それ以来、当たり前だが、資料館にY氏はいなくなった。

今まで私は南知多に行く度にY氏のいる資料館に寄っていた。
「どうだ。今日は何かいい情報は見つかったか?」のY氏の声はもう聞けない。
資料館にはコピー機がない。館外持出禁止の図書でも特別に近くのコンビニにまで持ち出してコピーさせてもらった。
それももうできない。
ちょっぴり寂しく感じる。

内海佐治家・千賀家のことは色々勉強になったが、肝心のおきたおぬいは全く進展がない。
別に存在のみを期待している訳ではない。逆に彼女らが存在しないという確かな証拠発見でもいい。
そうすることによって、大野城退去後の与九郎とおの消息の真実にかなり近づけるじゃないか。

何度も言うが、「与九郎が蟹の合戦で家康を助け、それを知った秀吉は怒って二人をすぐ別れさせた。だから、婚姻期間からいって二人の間の子は存在しない」という論拠は正しくない。
与九郎との離縁の時期経緯は未だ明確ではないのだ。

そんな中、あるブロ友さんから、と小吉秀勝の結婚時期の天正13年説を教えてもらった。
天正17年説・文禄元年説よりうんと早い。結構信頼性の高い出典らしい。
それが正しければおきたおぬいは存在しない。
一遍にやる気が失せた。

8月、ある歴史の会主催でY氏の講演があることを偶然知る。とうに申込締切は過ぎていてなおかつ部外者の私だが、懐かしく思い、受講希望をお願いしてみたらOK頂いた。
当日、講演内容はY氏得意の鯨の話。私以前聞いて殆ど内容はわかっている。でもなぜか有意義に感じる。
講師との昼食会。Y氏は私を見つけるなり、
「おう、大野のヨクローか、俺の前に座れ!どうだ、その後、おきたおぬいの新しい情報は見つかったか」
「いやあ…」私は必死に話をはぐらかす。
「そうか。あの秘境の北脇の奥には、人が住んでいた痕跡がある。今度一緒に行ってみんか?」
「えっ?」
Y氏が定年になったことで、逆に行動が共にできるんだ。
今一度、Y説を信じて動いてみよう。
(ヨクロー)


杏 - 愛は勝つ

tag : 大河ドラマ

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 8

いざ、北脇へ
kitawaki2.jpg
このカテゴリ、久々のアップです。
江と佐治与九郎との間にできたとされる二人の娘、おきたおぬいの伝説は本当か?

盛夏、私はY氏に同行し、おきた脇じゃないかとされる北脇に向かいました。
そこは、人里離れた秘境で、そこに隠れるかのごとく、住居跡があるというのだ。

上の地図は、北脇人さんからの頂き物です。
ありがとうございます。

福谷池の手前で車を止め、そこから、池左の道を歩いて向かう。
池を通り過ぎると段々、草木が生い茂る。鳥の鳴き声が聞こえる。
猛暑のため、汗がにじむ。首に巻いたタオルがかかせない。
途中、道が二股に分かれる。、Y氏は右の道を進む。
さらに人里はなれた景観になる。
とても人が住めるようなところではない。
こんな密林を歩くなんて、探検の何ものでもない。
探検なんて、小学校の時以来かなあ。
小一時間位あるいただろうか。
Y氏が口を開く。
「ああ、ここだ。ここだよ」
獣道を形成するかのように、膝位の高さの位置に、土止めのような住居跡と思われる石垣があった。
(ヨクロー)

続きを読む

おきたおぬいホリオコシ奮戦記 9

住居跡で…
kitawaki1.jpg

人里離れた峡谷にひっそりと存在する住居跡。
水を使った痕跡や茶碗も見つかったという。
まるで、落ち武者が住んでいたかのようだった。

ここが、おきた脇か?
考えてみる。
ここまでして隠れる理由があるのだろうか?
城を追われた与九郎やお江ならいざ知らず、小さな娘二人だけである。
かくまった者自体が見つかったらまずい者だからなのだろうか。
与九郎・江逃れる→娘出産→与九郎・江捕まる→娘預ける→娘ここに隠れ住む
んー、どうなんだろ。
与九郎・江、安濃津へ→娘出産→与九郎・江離縁→娘を千賀家に預ける→娘ここに隠れ住む
んー。
こうまでして、隠れなければならない理由が後で発生したのだろうか。

住居跡を見てずっと考える。
「戻ろうか、ヨクロー君」
「え、あ、はい」
帰路の途でもずっと考える。

この後、Y氏が発掘調査している貝塚を見せていただく。
その時も気もそぞろで考える。
どう考えてもしっくりおさまらない。

後で気が付いたが、Y氏にチャンと礼を言わなかったような気がする。
悪いことをした。
(ヨクロー)

続きを読む

プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

カテゴリ
最新記事
最新コメント
検索フォーム
FC2カウンター
リンク
フリーエリア
月別アーカイブ
夢を叶えるための名言集


presented by 地球の名言
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
The Great Dodecahedron
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。