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お江の略歴

ogou1.gifお江は、天正元年(1573年)生まれ。
小督(おごう)、徳子、お江与、達子(さとこ)、崇源院(すうげんいん)
父は小谷城主・浅井長政。母は信長の妹・お市。
浅井三姉妹の末娘。
長姉・茶々(淀殿)は豊臣秀吉の側室、次姉・初は京極高次の正室。
お江が生まれた年の9月、父長政は小谷城の戦いに敗れ、自刃。
その後、三姉妹とお市は信長の弟・織田信包が保護。(三姉妹は秀吉の養女に)
天正10年(1582年)母・お市、柴田勝家と再婚。越前国北ノ庄城へ移る。
翌年4月、賎ヶ岳の戦いで北ノ庄城落城。父母とも自刃。

その後、お江は尾張国大野城主・佐治与九郎一成(母お市の妹・お犬の子。従兄にあたる)と結婚。
大野城落城。与九郎は信包の家臣に。
そして、秀吉の命で強制的に離婚。

天正15年(1587年)次姉・初は京極高次の正室に
天正16年(1588年)長姉・茶々は豊臣秀吉の側室に
天正17年(1589年)岐阜城主・豊臣小吉秀勝と再婚。
文禄元年(1592年)秀勝、朝鮮出兵中病死(9/9)。同年、完子(さだこ)出産。完子は淀殿の養女に。
文禄4年(1595年)徳川秀忠と再々婚(9/17)
慶長2年(1597年)山城国伏見城内の徳川屋敷で千姫出産(4/11)
慶長3年(1598年)秀吉病死(8/18)
慶長4年(1599年)珠姫出産
慶長5年(1600年)長丸出産(?)
慶長6年(1601年)江戸城西の丸で勝姫出産(6/12)
慶長7年(1602年)初姫出産(8/25)。長丸2歳で病死
慶長8年(1603年)千姫、7歳で豊臣秀頼と結婚
慶長9年(1604年)家光出産(8/12)
慶長10年(1605年)秀忠、二代将軍に
慶長11年(1606年)忠長出産
慶長12年(1607年)江戸城大奥で和子出産(10/4)
慶長20年(1615年)大阪夏の陣で、淀殿・秀頼死去。千姫は救出。
元和2年(1616年)家康死去(4/17)。千姫、本多忠刻と再婚
元和6年(1620年)和子、入内(後水尾天皇の中宮に)
元和9年(1623年)家光、三代将軍に
寛永3年(1626年)死去、54歳(9/15) 火葬される。
<誤りのご指摘、異説等ございましたら、御連絡ください>

oinuoichi.jpg
与九郎の母・お犬(写真左)とお江の母・お市は姉妹。

お江の人生は、時代に翻弄されながらも時代に逆らわない人生を送り、結果として、将軍の妻になるというシンデレラガールに。
しかし、それは彼女が望んだ幸せだろうか?
豊臣方・姉淀殿と敵対関係に…春日局との後継争い…
もし秀吉に政治の道具に使われなかったら。

思春期に一緒に過ごした佐治与九郎との蜜月の日日。
その時が彼女にとって一番幸せだったのではないだろうかと、私は勝手に推測している。
与九郎は、母お犬がかなりの美人だから、それなりの美男子だったであろう。
それに比べ、強制的に離婚させられた後、再婚相手は隻眼醜男(注:隻眼ではなかった説もあります)、再々婚相手は六つも年下。
運命と受け止めつつも、小娘の内心としては快く感じられないのでは。
お江は秀忠と再々婚の時、お江与と改名。
その名は江戸に与えるという意味で名付けられたという。
しかし、お江与の与は与九郎の与でもある。
改名は小娘のささやかな抵抗?
考え過ぎかな。(ヨクロー)

 「幸せの黄色いリボン」 ドーン

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プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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