スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

織田長益の大野入城時期の持つ意味

信長の弟・織田長益(源吾)が大野城に入城した時期は、中央ではなぜかしら、天正10年の信長没後とされています。
しかしながら、地元では、長益はもっと以前に大野にやってきたという見解です。
私もそう思います。いや地元の見解の方が正しいと言い切りたい。
この話は、40年以上大野佐治を調べている地元郷土史家・早川先生(私の高校時代の恩師でもある)に教えていただきました。

t3gengotaiko.jpg

上の写真(大野町史より)は、長益(源吾)が蓮台寺の寺に寄進した太鼓です。天正3年3月と刻付されています。
蓮台寺は、当時この地区で最も大きな寺で、初代大野城主佐治宗貞の墓である寿山塚がある寺です。
戦国時代、武将がその土地を治めるためにきた時、必ずその土地の寺に宝物を寄進するそうです。
すなわち、すでにこの頃、長益(源吾)は大野に入っていたということになります。

以前紹介した千賀系譜「天正二戌年春 月日不分明 織田有楽、知多郡領地致され候に付き、(師崎千賀家)本領の儀、替地相成る可き処、権現様(家康)より高木筑後を以て御理仰せ入れられ本領安堵仕り候」もほぼ同時期。

信長は、伊勢湾の西海岸を信孝・信包・信雄の血縁で配置した。同時期、東海岸も血縁(長益)を配置しようとしても何らおかしくない。しかし、すぐに佐治水軍を排除し、別の水軍を長益が置くことはとても無理。

よって我々の見解は、
「天正2年(又は元亀2年)長島一向一揆で一成の父・信方(22歳)が討死した後、まもなく長益(源吾)は年少(5歳又は3歳)の一成を補佐する名目で大野に入った。」
です。

このことは、実は大変大きな意味を持ちます。

最近、著名な学者が、こう考察されました。
佐治信方討死後、信長が大野の地を放棄するかのごとく、一成がまだ幼少であるのにも関わらず妹お犬の方(信方室)を再稼させたのはおかしい。
よって、実は一成はもう少し年上で、お犬の方の子ではなく、信方の弟だろう。
そして生まれたばかりのとかなり年の離れた一成を婚約させることで信長は大野の地と繋がりをもった。
んな馬鹿なです。この婚約説はあまりに無理がありすぎますよ。
この学者様の著書を読む限り、全く長益(源吾)の大野入城時期を調べられていない。
人の説はあまりとやかく言いたくないが、信長没後その話はなくなりは大野に輿入れせず婚姻関係は全くなかっただろうとまで勝手な推測を言われると、流石に黙っちゃいられない。
仮にそれが事実だとしましょう。
・たかが婚約のみでなぜ数多くの系図に「佐治一成の室は信長の姪・淀殿の妹」と書かれるのだろうか。その意図は。
・信長の甥でない一成がなぜ信長の娘・振と再々婚できたのか。
・兄弟でない織田熊介との間に二代下まで養子のやり取りがあるのはなぜか。
・織田の血筋ではない一成の墓がなぜ織田の血筋をひいている墓がある霊光院の中にあるのか。
疑問が噴出してくる。
この婚約説を公然と反論したいし、反論の反論もぜひお伺いしてみたい。
(果敢に新説を打ち出される勇気自体は、決して嫌いじゃないのですが…)

皆さん、もしあなたが信長ならば、重要視している大野の繋がりを保とうとする手段として、大野城主の弟に、かなり年の差の開いた産まれたばかりの姪()との間の婚姻の約束をするだけで済まそうとするのか、自分の弟である長益に一成を補佐する名目で大野へ赴かせるのか、どちらを選択するのかよく考えてほしい。

もう一つの大きな意味。
ら浅井三姉妹が幼少時代に過ごした保護先の再検証である。
通説では、叔父信包の下、伊勢上野城とされていますが、実はそう書かれた文献は全くないのだ。
(三重県津市の郷土史に詳しい方に訊いた情報です)
であるなら、そして、長益(源吾)が天正3年にはすでに大野に居城していたなら、ら浅井三姉妹の幼少時代の保護先は大野の地、であっても全く無理のない説になりうりますよね。
小谷城から岐阜城・清洲城そして…
当時、大野には、長益(源吾)という叔父のみならず、お市の方(の母)の姉妹のお犬の方もいる。
そこには、江の最初の夫となる佐治一成がいる。
幼い二人が常に会える機会が多く恋愛関係になったと仮定したら、なぜ三女から嫁いだのかという疑問も容易に解決する。
当時、江は将軍の妻になりたいなど夢にも思ってなかっただろうし、思春期の女の子が思うことと言えば…

また、大野の地は、織田家のお膝元の尾張であり、なおかつ南方に位置し戦乱になりにくい。伊勢上野城に負けないくらいの実に安全な立地でもある。
(現時点では江の保護先は大野だと断言している訳ではありません、念のため)

繰り返し言います。
織田長益の大野城入城時期は大きな意味を持つと思います。
なぜなら、江の幼少時代が見直される要因となりうるからです。

織田長益の大野入城時期にご意見のある方、コメントお待ちしてます。
(ヨクロー)
スポンサーサイト

tag : 大河ドラマ

プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

カテゴリ
最新記事
最新コメント
検索フォーム
FC2カウンター
リンク
フリーエリア
月別アーカイブ
夢を叶えるための名言集


presented by 地球の名言
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
The Great Dodecahedron
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。