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柏原藩廃藩で家臣達は・・・

kaibaraezu2.jpg江戸時代初期、幕府は専制的な武断政治を行っていました。
家の断絶を防ぐための末期養子も認められず、嗣子がないために取り潰される大名家が続出。それらの大名家に仕えていた武士たちは再仕官の道は非常に厳しく、浪人となる者が増え、社会問題化しました。

柏原藩も例外ではなかった。
信包の孫で第3代藩主・織田信勝は慶安3年(1650年)5月17日に28歳で死去してしまう。子供は3人の娘だけで息子がいなかった。だが、一説には、死亡時に側室が妊娠しており、名門織田家ということで男子出生の場合は家督相続が認められるはずだったが、出生したのは女子だったので改易になったという。
それから、柏原は天領になってしまう。

家臣達はどうなったのか。
筆頭家老佐治与右衛門一置でさえ、再仕官の道はなく浪人を余儀なくされた(41歳浪人のまま江戸で死去)ので、殆どの家臣は浪人になってしまったのでは。
そのなかで、第2代藩主信則の弟で信勝の叔父信当(のぶまさ=当時50歳)は同年9月1日、旗本に取り立てられ、丹波氷上郡内3000石を与えられた。(後に小姓組に加えられる)よって信当に近い何人かの家臣たちはそこに士官できたのではないだろうか。

また、特筆すべきは、一置の継子・佐治為貞が江の次姉・初の嫁ぎ先の京極家に仕官できたことだ。
彼は、京極家とは血縁関係はないはずなのに…。どんな縁で仕官できたのだろうか?
私は彼を追ってみたくなった。

(ヨクロー)

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プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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