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鳥取・佐治幾衛家譜について

ブロ友のk2さんから教えて頂いた、鳥取県立博物館所有の貴重な資料です。
なんと、佐治与九郎一成に為吉という子があり、その為吉が播州池田家の家臣となり、後に鳥取池田家に仕え、代々鳥取藩士となったというのだ。その子孫が佐治幾衛氏。
えっ?私、大野佐治の直系の方を知ってるので、思わず目を疑った。
でも頭ごなしに否定すべきではないので、検証してみます。
まず、訳す。
一成
同為貞の二男、与九郎と号す。
兄信方が討死につき、家続のため、信長公の姪である浅井備前守の娘を娶り、妻とする。
長島表帰陣の後、故あって織田上野介信包(信長公御舎弟)の長臣である津田左近将監を切り殺す。
大野へ在城の処、天正12年申の年4月上旬、尾州小牧の陣相済むのち、
大神君(家康のこと)三州御帰陣のみぎり、御船無く御難儀に見たてまつる。
与九郎、御船を出し手渡す。
家康御感不斜然るにこの事、秀吉公聞こしめされ、甚だ御立腹。
一成の妻は淀殿の妹たるによって、淀殿病気と唱え使者を遣わし、上方に呼び寄せ返し賜わず。
与九郎、随わずとも念怒忍びて如何ともすべき様なり。
その後、大野城に退いて雉髪をしめ臣哉斎入道という。
死去年月不詳。

為吉
与九郎一成の嫡子、式部少輔と号す。初名、彦左衛門次郎左衛門。
慶長6年、播州に於いて、御家へ召し出だされ候。

以上

与九郎は信方の弟でなく子。仮に弟としてみましょう。為貞は1556年(弘治2)没なのでその年に生まれたとしても、と結婚した時は28歳。たぶんそれ以上の歳。当時の平均寿命が35歳位だったことを思うとかなりの晩婚。しかも相手は12歳。信方は1571年(元亀2)没。その後すぐ家督を継承したにもかかわらず12年間も奥方を娶ってないことに。世継ぎのことは考えないのだろうか?与九郎が元服した歳に12歳のを娶るほうが自然ではなかろうか。
与九郎が長島表帰陣の後、信包の長臣を切り殺す?どうしてそんなことをした人間が信包の家臣になれるのか?
前出してますが、与九郎が小牧長久手の戦いには参戦していない。
大野城は落城しているので、大野城に退くことはありえない。
京都で没。臣哉でなく巨哉。死去年月不詳ではない。
与九郎の子に為成がいる。丹波柏原織田(信包)家士として大坂夏の陣に西方として参戦。後に与九郎の弟・中川秀休に養子に入っているとされているが、為吉の文献は全く見当たらない。

佐治幾衛家の子孫の方に大変申し訳ないですが、私はやはり信憑性に大いに欠ける資料だと考えます。
柳営婦女伝系の中の一文によく似ていますので、おそらくそれをかなり転記ミスされたものではないでしょうか?

また、「佐治幾衛家譜」はいつ書かれたものか?
これを訳してもらった方はかなり古文書に堪能な方で、字筆から戸末期以降に書かれたものとのこと。
「佐治家乗」(昭和11年1月10日発行 発行者 佐治秀寿・佐治敬助)の中に「佐治式部少輔為吉子孫系図」が附記されており、佐治幾衛さんは明治初期の方とわかる。(この系図は「佐治史話」の中にもあり。)さほどこの資料は古くないようです。ちなみにここではなぜか為吉は与九郎の弟になっています。もし弟なら、京都霊光院にある与九郎の墓の隣に弟秀休の墓があるのになぜ為吉の墓がないのか?
大野佐治の系図は世にたくさんありますが、為吉が書かれているのはこの系図だけです。この系図は他の系図と比べかなり異彩を放つ。この系図を肯定してしまうと、他の系図が全否定されてしまうほどです。

戸期に書かれた佐治の話は信憑性がよろしくない。その話を明治期さらに誤って転記したものではないかというのが私の見解です。
皆さんのご意見お待ちします。
(ヨクロー)

yorurohaka.jpg
写真は、於犬の菩提寺・京都霊光院にある、佐治与九郎・妻の振・弟秀休の墓。
於犬と佐治与九郎が、血縁(母子関係)がないとは考えられない。
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tag : 大河ドラマ

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No title

こんにちは☆

なるほどと納得してます。
なんかご先祖様をどうしてもこの人にという、日本人特有のものがありそうですね~
私は徳川実記もあまり信用できないと思ってますが、江戸時代に描かれた古文書は、信憑性に欠けるものがあると思います。
子孫を名乗っていらっしゃる方には申し訳ないけど、明治になってからの文書ではでっち上げが多いのでは・・・

Re: No title

> こんにちは☆
こんにちはe-487
>
> なるほどと納得してます。
> なんかご先祖様をどうしてもこの人にという、日本人特有のものがありそうですね~
> 私は徳川実記もあまり信用できないと思ってますが、江戸時代に描かれた古文書は、信憑性に欠けるものがあると思います。
> 子孫を名乗っていらっしゃる方には申し訳ないけど、明治になってからの文書ではでっち上げが多いのでは・・・
本当は反論して欲しかったです。
真実を求めて、傷つく人を作りたくなかったです。

No title

知り合いに佐治家の家系がいらしゃり、お聞きすると
与九郎とおごうとの間に おぬい おきたという2人女の子ができ
その一人が、鳥取藩荒尾但馬の守に嫁ぎ、その子が池田家の奥方になった  と言われました。
プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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