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恩波楼主人 加藤勝彦氏に聞く

旅館「恩波楼」主人 加藤勝彦氏は大野海水浴場について大変お詳しいです。
今回、加藤氏に色々お聞きしたいと思います。
以下、加藤氏のお話です。

onparo2.jpg大野汐湯治を語るには、大野谷の歴史から始めねばならないと思われます。
大野谷とは、遺跡分布図によれば縄文時代初期には南粕谷周辺まで海水の進入があり、貝塚の所在が確認されております。
縄文時代中期には上流からの土と海からの砂で埋まり、徐々に海退が進み浅い沼地となったと記されています。その頃の大野は、砂の山のような海の中の島ではなかったかと思われます。
縄文時代後期に入るとさらに海退が進み、大野も陸地となりました。そのため、大草台地の集落から入々が漁労を行うために大野の浜にやって来るようになったと思われます。
その頃の大草台地には大草湧水があり、人々は生活に必要な飲料水を求めることが出来ました。
そして、大野の浜にも大野谷湧水がありました。このふたつの湧き水は今も湧出しております。大野谷湧水は硬水であり、飲むことは出来ませんでした。大草台地に住む人々は、この湧水で傷口を洗うことでケガを治していたのではないかと想像するのでございます。
この大野谷湧水は海水の三分の一ほどの塩素イオン濃度なので、傷口に染みる事も無く治療出来たのではないでしょうか。
縄文時代の海彦・山彦達がこの浜で治療したことが、大野汐湯治の原点ではないかと思われるのです。
『方丈記』の作家鴨長明がこの地を訪れる数千年前から、このような湧水による治療が行われていたとすれば、大野谷湧水が大野汐湯治(世界最古の海水浴場)の歴史を変えるのではないかと思われるわけであります。今も潮が引きますと渡渡と冷たい水が湧き出ております。数千年の空白の中に三河から伊勢への道筋も出来、大野汐湯治は伊勢湾を囲むそれぞれの地域に、人づてに伝わっていったものと思われます。
1223年(海道記による)の頃には、大野の地にも寺院が建ち、多くの湯治の人達が浜に存在していました。長明の過ごす館もあったのでしょう。和歌の内容からも、この大野の浜が快適であったことが伺えるのです。
『尾張名所図會』に汐湯治の様子が描かれています。調度浜の面積の五割程の水辺に湧水の形跡があり、その場所に人々が集い、治療しているのであります。熱い石で焼いた傷口を湧水で洗い、又、汲んだ湧水に焼き石を入れて風呂として用いたのではないでしょうか。古代から中世へと移る間に、人々は色々な方法で汐湯治を行ったのではないでしょうか。
そこで、今まで〈汐湯治〉という言葉を使ってきましたが、この言葉の由来を私なりに考えてみました。古来、日本人は冬至には柚子湯に浸かり、その香気と成分により体を癒しました。冬至の柚子湯から〈湯治〉へと入って行ったものと思われます。温泉湯治はその地気(蒸気)と湯成分の保温効果により、広く人々に利用されるようになりました。
大野汐湯治は1223年に鴨長明の和歌に始まり『徳川秀忠の見舞状』、『尾張名所図會汐湯治』、『浜薬師絵図』によって解説されています。
明治23年、愛知県令(知事)国貞廉平氏の尽力により海水の成分分析がなされて、海気に優れている事が証明されました。体内に入った海気が海水の成分も合い間って、温泉に浸かることと同じ様に体を癒したと言い伝えられています。すなわち冬至の温泉湯治、夏至の汐湯治であります。これが汐湯治の言葉の意味と解している理由あります。
さて、平成の大野汐湯はと申しますと、すでに海は昭和20年代の海ではありません。環境が悪化しております。しかし、大野は伊吹鈴鹿の山脈から吹き下ろす風が知多半島で一番強く吹く所であり、木曽三川と伊勢湾の海気(オゾン)が吹き寄せる所であります。私はこの風を浴びる事を平成の汐湯治と致したいと思っております。
先に述べた大野谷湧水でございますが、私白信が湧水の事を知ったのは昭和27年頃の夏であったと記憶しています。父親に海水浴に連れて行ってもらい、砂地や石の間から湧出する冷たい水が湧水である事を教えられました。それから五十八年、この暑い夏に湧水に触れ、父とのふれあいを思い出し、水の検査をしたのでございます。その結果は、塩素イオン濃度が海水の三分の一、硬度が約三千という硬水で飲用は不適、風呂には最適との事でした。この湧水の事を先人達は知っていたと思われますが、私の様に古代の夢を追う様な事はしなかったのではないかと思われるのです。
今の環境がこれ以上悪化しない事と、大野谷の白然と大野の浜と湧水がいつまでも変わりなく続いてくれる事を願って終わりと致します。
平成19年9月20日         恩波楼主人 加藤勝彦



加山雄三:海その愛
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tag : 海水浴場

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No title

こんにちは☆

恩波楼のご主人は大野の汐湯治のことがお詳しいんですね。
それにずいぶん歴史的なことも研究されているようで、ステキな方がお近くにいらっしゃることは励みにもなると思います。

大野町の歴史がどんどん明らかにされていくことが楽しみになってきました。

こんにちわ

大野には歴史がありますね。このサイトをみて嬉しくなりました。

潮湯治

 うちに某先生がやってきて、「大野が世界最古の海水浴場といっているが文献はない。江戸時代、犬山の成瀬が知多半島の東浦側(緒川から武豊あたり)を尾張藩から領地交換でもらうとき、潮湯治の浜がほしい、と言ってもらった。その文書もある。だから、こっちが古い―」。
 どっちでもいいことだが、こんな説があったということだけお知らせしておきます。

Re: No title

> 恩波楼のご主人は大野の汐湯治のことがお詳しいんですね。
> それにずいぶん歴史的なことも研究されているようで、ステキな方がお近くにいらっしゃることは励みにもなると思います。
> 大野町の歴史がどんどん明らかにされていくことが楽しみになってきました。

どんどん掘り起こしたいと思います。

Re: こんにちわ

> 大野には歴史がありますね。このサイトをみて嬉しくなりました。
ありがとうございます。

Re: 潮湯治

>  うちに某先生がやってきて、「大野が世界最古の海水浴場といっているが文献はない。江戸時代、犬山の成瀬が知多半島の東浦側(緒川から武豊あたり)を尾張藩から領地交換でもらうとき、潮湯治の浜がほしい、と言ってもらった。その文書もある。だから、こっちが古い―」。
>  どっちでもいいことだが、こんな説があったということだけお知らせしておきます。

その説は初耳です。勉強になりました。
私もどっちでもいいですよ。真実を確かめたいだけですから。
文献がないとおっしゃる某先生によろしくお伝えください。
プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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