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続・織田長益の大野入城時期

大野入城時期が書かれている千賀系図もk2さんに教えていただいた芝村藩織田家の長益の系図(信雄から賜ったとある)も、どちらも後年書かれた二次資料である。
源五太鼓の年号も、よくわからないが、後年刻付された可能性はゼロだとは言い切れない。
どれも決定打ではないのだ。

その時代に書かれた一次資料はないものだろうか。

odanobukatu.jpgここで、あの有名な、1585年(天正13年)の「織田信雄分限帳」を検証してみます。
源五(織田長益)の名があり、信雄に知多郡を賜ったとあります。
よって、この頃が大野入城時期であり、それ以前は大野にいなかったと思われがちですが、
むしろ、その逆で、よくこの資料を見ると、以前から大野にいたことを物語っている箇所が見受けられます。
ここに注目してください。
佐治二右衛門(古布郷)と石川六郎三郎(姫島郷)は、「大野衆源五トノ者」とあります。
もし源五がこの時期にきたなら、この「大野衆源五トノ者」の肩書きなる者が存在するのはおかしい。
よって、前から大野にいたことの証拠に十分なりうるのではないのでしょうか。

なら、いつ大野にきたのか?
「信方没後、幼少佐治一成の補佐のため、信長が弟・長益を知多郡に赴かせた」はいたって自然なタイミングであり、あらためて千賀系図に書かれている年号は信憑性は高いと私は思います。
他に考えられるとすれば、お犬の方再嫁の時に入れ替わりにきたとか。
皆さんはいかがお考えになるのでしょうか。

(ヨクロー)
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tag : 大河ドラマ

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No title

こんにちは☆

珍説を発表した学者さんにぜひ検証していただくといいかもですね(笑
これはかなり長益の大野入城時期を補完する資料かもしれません。
お江さんのことも学者がケチのつけようがない資料が出てきて、もう少しはっきりするといいですね~

Re: No title

> こんにちは☆
こんにちはv-285
>
> 珍説を発表した学者さんにぜひ検証していただくといいかもですね(笑
珍説かどうかは知りませんが、真実に近づくためにぜひ再検証して頂きたいです。
実はメールしてもご返事いただけなかったので、やむなく・・・

> これはかなり長益の大野入城時期を補完する資料かもしれません。
だと思うのですが。

> お江さんのことも学者がケチのつけようがない資料が出てきて、もう少しはっきりするといいですね~
おっしゃる通りですね。出て来い、一次資料!
プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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