スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

主君・信包の死と与九郎

柏原藩の立藩は慶長3年(1598年)6月、豊臣秀吉が亡くなる2か月前のことです。
藩主の織田信包は、秀頼の御伽衆として、殆ど大坂城に常駐しており、藩政は与九郎をはじめとする家老達が行っていたことになります。
sajikazunari.jpg
信包、慶長19年(1614年)7月17日、大坂冬の陣直前に大坂城内で吐血して急死。
信包の墓は京都龍安寺の塔頭西源院に。龍安寺は、与九郎の母・お犬の再嫁先である細川家の菩提寺。
与九郎が信包の墓建立に全く関係していなかったというのは考えにくい。
与九郎は晩年、巨哉という名の僧侶になっています。いつ僧侶になったのか?
主君・信包を失ったこのタイミングであっても何ら違和感は感じない。

戦国の時代を生きた武士という人生に自ら定年を迎えた。
与九郎はそんな思いではなかっただろうか。
無論、想像ですが…。

大坂の陣を境に、戦国の時代はやっと終焉を迎える。
そして、江が再々嫁した徳川家の世が続くことになる。

(ヨクロー)
姫隊の江ちゃんフォト
isewango.jpg
2011年8月 後方に伊勢湾
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

カテゴリ
最新記事
最新コメント
検索フォーム
FC2カウンター
リンク
フリーエリア
月別アーカイブ
夢を叶えるための名言集


presented by 地球の名言
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
The Great Dodecahedron
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。