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織田信包(お江・与九郎双方の伯父)

ここでは、織田信包(のぶかね)の存在を抜きにしては語れない。
彼は、小谷城落城後のお江を保護し、大野城を追われた与九郎を家臣にした人物なのだ。

天文12年(1543)生まれ。織田信秀の四男(六男?)。兄信長。妹お市。妹お犬。
お江・与九郎の伯父にあたる。
三十郎、信良、信兼、津侍従、老犬斎

nobukane

永禄12年(1569)長野工藤氏(長野氏)に養子入りして伊勢国上野城を居城とする
元亀2年(1571)安濃津城築城開始
天正元年(1573)小谷城落城後、お市と茶々・初・江の3娘を保護
天正5年(1577)織田姓に復帰
天正6年(1578)伊勢安濃津城ほぼ完成
天正8年(1580)伊勢安濃津城入城
天正10年(1582)お市、柴田勝家と再婚、3娘と共に越前国北ノ庄城へ
天正11年(1583)北ノ庄城落城。お市自刃。お江与九郎結婚
天正12年(1584)大野城を追われた与九郎を家臣にする
天正18年(1590)小田原征伐の時に北条氏政・氏直父子の助命を嘆願、秀吉の怒りをかう
文禄3年(1594)改易され近江2万石に移封も、慈雲院に隠棲、老犬斎と号す
慶長3年(1598)秀吉死去。丹波柏原藩主に。御伽衆の一人として秀頼の補佐役に
慶長5年(1600)関が原の戦いに西軍として参戦。敗戦したものの所領は安堵
慶長19年(1614)7/17大坂城内で吐血して急死。大阪冬の陣。家督は3男信則(1599生)が継承

お江が子供の頃過した津の信包の元に、与九郎は大野城落城後逃れている。
大野城落城からお江が再婚するまで、6年ものタイムラグがある。
本当にすぐ離縁させられたのだろうか。
そうでなければ二人の間に子供がいても不思議ではない。
実際、二人の間に子供がいるという説は存在する。
また、信包が慈雲院に隠棲した4年間、与九郎はどこで何をしていたのだろうか。
与九郎も巨哉と号し剃髪している。
憶測だが、ひょっとしてこの時信包に追従し、信包復権しても与九郎はそのままずっと僧侶に?

また、与九郎が子供の頃、津の伯父・信包に会う機会はなかったのだろうか。
大野と津は伊勢湾の対岸で、船で行けば目と鼻の先である。
もし会っていたら、その時、偶然お江と出逢ってなかっただろうか。
信包に訊いてみたい思いにかられる。
(ヨクロー)

 高橋真梨子 for you...
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No title

すばらしいですね。

Re: No title

> すばらしいですね。
ども。
プロフィール

ヨクロー

Author:ヨクロー
2011年NHK大河ドラマ「江」の最初の嫁入り先「尾張大野」
この地の郷土史研究を楽しく行なっている会です。
(写真の江は、あいち戦国姫隊の江姫です)

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