おきた・おぬい(2)
お江と与九郎の間の娘とされる「おきた・おぬい」の伝説。
実は数年前からずっと追っています。
かなりしつこく追っています。
彼女らの存在の有無を確かめることで、お江と与九郎との婚姻生活の真実により近づけると思ったからです。

「おきた・おぬい」の名は、昭和4年発行「大野町史」103ページにあります。
佐治与九郎が大野城が没落してから師崎の千賀家へ厄介になったといふ説がある。
此説に依ると、与九郎にはおきた、おぬいといふ二人の女子があって、千賀家で養育されて居たが、一人は盲女であった。後須佐村に小居を構へて居たから其地の百姓は之を千賀家の主君の娘だと云って今もおきた脇と云って居るといふことである。
と書かれています。
無論これが真実かどうかはわかりません。しかし、確かめる価値はあると思います。
佐治家と千賀家は親戚筋にあたります。
師崎は知多半島の先端。須佐村とはその隣の村で、現在は南知多町豊浜のこと。
昔「おきた脇」て地名は本当にあったのだろうか。もし存在していたら…。
次回(3)は、「おきたおぬい」ホリオコシ奮戦記をお送りいたします。
(参考ー井上靖「佐治与九郎覚え書」・澤田ふじ子「無明記」の本の中にも、「おきた、おぬい」のことが書かれています)
Listen To What The Man Said - Paul McCartney - Digital Remix
(邦題ーあの娘におせっかい)
実は数年前からずっと追っています。
かなりしつこく追っています。
彼女らの存在の有無を確かめることで、お江と与九郎との婚姻生活の真実により近づけると思ったからです。

「おきた・おぬい」の名は、昭和4年発行「大野町史」103ページにあります。
佐治与九郎が大野城が没落してから師崎の千賀家へ厄介になったといふ説がある。
此説に依ると、与九郎にはおきた、おぬいといふ二人の女子があって、千賀家で養育されて居たが、一人は盲女であった。後須佐村に小居を構へて居たから其地の百姓は之を千賀家の主君の娘だと云って今もおきた脇と云って居るといふことである。
と書かれています。
無論これが真実かどうかはわかりません。しかし、確かめる価値はあると思います。
佐治家と千賀家は親戚筋にあたります。
師崎は知多半島の先端。須佐村とはその隣の村で、現在は南知多町豊浜のこと。
昔「おきた脇」て地名は本当にあったのだろうか。もし存在していたら…。
次回(3)は、「おきたおぬい」ホリオコシ奮戦記をお送りいたします。
(参考ー井上靖「佐治与九郎覚え書」・澤田ふじ子「無明記」の本の中にも、「おきた、おぬい」のことが書かれています)

(邦題ーあの娘におせっかい)
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